[∈]道を決めること


もやもやした日々が続いておりますが、さて。

自分の信じた道を生きろ。 これは実に難しい。まず「何を信じるのか?」という対象があり、さらには「信じることができるのか?」とか「信じ続けることができるのか?」ということがある。

アウトカムから考えると、一定の成功をしている人はその「道」の第一人者になるケースが多く、その「道」に集中してやっていることがほとんどだ。ユーグレナの出雲さんの場合はまさにミドリムシの可能性を信じてやっていた。ノーベル賞のようなものも同じように、研究の世界やスポーツも同じことだろう。

「道」がないと、「いろいろできるが特徴がない」というような一般的な日本の大企業のサラリーマンの典型になる。競争優位性から考えると「いろいろできるが特徴がない」人が一番多く人数がいるので「特徴がない」というのはもっとも避けるべきものだと僕は考えている。

「道」というのか「軸」というのを早い段階でしっかり見極めることが重要だ。

ボスの発言が改めてしみるなぁと思うわけです。

生き方を考えるとき、いつも両親のことを考えてしまうのですが、僕の両親は、生き方としてある意味180度対照的で、でも生き方として、それぞれ凄く立派だなぁと思っています。

父親は、映画に関する仕事をしていて、家族なんぞ知らんというような、僕は1年に1度会うかなレベルで、都内のマンションに天井まで積み上がったビデオテープとカップラーメンで1人で生活していたような人です。学生時代から、映画を撮っていて、そのまま映画の監督になり、今もほとんど映画のことしか考えてないようなやつ。一緒に映画見ると頼んでもないのに、カットの説明とか批評とかし始めてうるさいです。

母親は、広告代理店に勤めて、1980年代後半の男女雇用機会均等法に助けられつつ、バリバリ働きながら、女手一つで子ども2人を育てるというスーパーウーマンでした。2度の出産や子育てが働き盛りの時期に重なり、「出世できなかったねぇ」と笑いますが、家族を大切にする+社会進出をするという日本女性の2つの価値観の狭間を努力で生き抜いたロールモデルだと思っています。

人間、100年に満たないような時間に生きて何が残せるかとした時に、親父なら自分の撮った作品はずっとアーカイブされるだろうし、母親は、道を決める前に家族がいて目の前のことに奔走した結果、「一般的な日本の大企業のサラリーマンの典型」になったかもしれませんが、家族という人間にとって最も原始的な血を繋いでくれたと思っています。

僕は欲張りにも、両方追えればいいなぁと30手前にして考えています。

 

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