[∈] 社会人になると「自分の文章」を書く機会がなくなる


 

これは社会人になって3年間働いてみて、最近になって結構思っていることなんですが、社会人の年数が経過していけばいくほど、「自分の文章」を書く機会がなくなることがあるなぁと思っています。主にサラリーマンの方を前提に書きますが、おそらく、社会人になって3年間という時間の流れの中で、

「型を学んで」

「技を盗んで」

「業務をこなす」

このサイクルがとにかく循環すると思うんですが、自分の意見も大事とはいえ、とにかくまずは戦力になること、特にその会社の文化に沿ったフォーマットや、業務上必要になる知識を持った上で、上司や先輩の見よう見真似で業務をすることが求められる中で、ふと単純に自分の考えや想いを書き起こす機会として減っているんじゃないかと思ったのです。

社会人3年間ぐらいは、守破離で言うところの「守」で、型を学ぶ(真似ぶ)ところから始まる人がとても多いと思いますし、社会人の先輩や上司から見たら赤ん坊のような存在でしょう。その意味では、ただの赤ん坊に自分の文章を書く機会がないのは当然だろうという考え方もあると思います。

しかし、22歳とかの大学を卒業した若者は、当然赤ん坊ではなく、やろうと思えば、自分の意見や主張を言語化する能力は当然備わっている訳で、自分を振り返ってみても、その能力というか、機会は継続的に自らもっと与えてあげるべきだったなと思っています。もちろん、仕事の中でそういった機会を多く得られた人もいるでしょう。そういった方はとてもラッキーだったんじゃないか、と。

そして、案外、この時期にそういった機会が極度に減ると、そのまま職場によっては、機会が激減したまま人生をしばらく過ごしていく人もいそうです。特に、大きな企業だと、40歳ぐらいからやっと仕事が自分の手の中にある感覚を持つ、つまり守破離で言うところの「破」に移行するまでに時間がかかる人も多くいると思っていて、そういう人は、22歳〜35歳ぐらいまでは、案外そうした「自分の文章を書く」ことの機会は少ないんじゃなかろうか、と。Uの字(スマイルカーブでもいいですが)の底に位置するイメージですね。おそらく40歳頃を過ぎると、自身の経験が必然的に付加価値になり、必要に迫られる形でも、「自分の文章」を書くことが、また増えていくと考えています。

一方で、社会人の始まりの「赤ん坊」のような多感な時期において、自分の感覚を文章化しないのは、なんだかもったいないなぁ。感覚を言語化しようとして初めて得られる経験もまたある気がするんです。

 

僕が大学入学時ぐらいは、まだまだ mixi が全盛期で、毎日のようにみんな自分の言葉で文章を綴っていて、それを読むのはちょっとした中毒現象になった時もあったんですが、今はあまり見かけない気がします。これは別にmixi が廃れてFacebook やTwitter が流行したから日記文化がなくなったとかではなく、僕の周りの人たちが、「自分の文章」を書く環境というか、機会が減ってきているからなんじゃないかと、ちょっぴり思ったりしました。

もちろんSNS やブログなどで自分の想いを文章化している人はいますし、起業家やフリーランスで働いている人なんかは、毎日、自身の主張をしていくケースが多いはずですが、感覚として分かってもらえる人はいるんじゃないかと思って書いてみました。

 

そんな勝手な想いもあり、そして自分自身、もっとたくさんの文章を書いて、ちまちまこそこそ言語化していきたいなぁ、と考えておりますです。

 

 

 

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

コメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.

トラックバック・ピンバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL