[∈]Twitterから消えたフラットさに想う


 

◇いつからかなぁ、Twitterからフラットさが消えてしまったのは、ということを考えていたりします。フラットさというのは、純粋さ、とも言うのかなぁ。最近のTwitter は、良くわからないスパムアカウントが溢れ、LINEとはまた違った内輪での非同期的コミュニケーションのツールと化している気がします。この感情、きっと分かってくれる人がいると思うのですけれど、

「もう…昔のあなたには戻れないのね」

そんな感じの感情。

 

◇昔は、Twitter ってちょっとした秘密基地だった気がします。言葉に発してもどうしようもないこととか、逆にどうしても知ってほしいこととか、みんながみんな楽しそうにつぶやいて、また新しい人がやってきて、つぶやいて。社会的に偉い人も、ちょっとの勇気があれば話しかけられる。この秘密基地にいる限り、普段話せないような人と話せる、会えないような人と会える、そんな楽しみがありました。また、この人誰だろう、っていう新しい出会いに対するワクワク感。でも、今のTwitter にほとんどそれを感じることはありません。

◇Twitter がメジャーになる前、具体的には、日本で言えば2008年にデジタルガレージが日本にこの変な小鳥のマークを持ってきて、2009年とか2010年ぐらいまでに使い始めた人は、みんなもうTwitterから心は離れてしまっちゃったんじゃないかなぁと思うわけです。だって、そこには「昔のあなた」がいないから。

◇この感じ、いつからかなぁ、2011年3月11日後なんじゃないかな、と思いました。「僕らの秘密基地」はニュースに取り上げられ、新しいコミュニケーションの形と賞賛され、社会のインフラに近づいていきました。秘密基地には、これまでと比べ物にならないぐらい人が押し寄せて、変な人も増えました。昔はちょっとの勇気で話しかけられた偉い人には、「認証」っていう水色バッジが付きました。どんどんと有名になって、いつの間にか秘密基地じゃなくなりました。大人がこの秘密基地で色々と宣伝し始めました。実に無機的に。

◇Twitterを使い始めた時、僕は、大学生という、社会にでる前の「子ども」でありました。やがて社会人になり、秘密基地には頻繁に行かなくなりました。今では、誰にも見られないように、自分と友達だけの基地を隅っこに作って、そこで結局遊んでいます。
「子ども」の時に感じた、インターネットによって自分がエンパワーメントされて、知らない人と人がダイレクトにつながる、そんなフラットさが感じられなくなったことに、ちょっと切ないです。

でも、誰かがまたどこかに全く名前も集まり方も違う、新しい秘密基地を作ってくれるんじゃないかな、とちょっぴり期待しています。

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