[∈]【書評】ネットワーク・ヘゲモニー


 

ゼミで大変お世話になりました土屋大洋教授の新著です。
4月から准教授から教授になられました。なんだか僕も嬉しいです。
(土屋先生と僕に関しては、こちらの記事を参照願います)

さて、恩師の本を評するというのは、何とも恐れ多いのだけれど、バレないようにひっそりと短めに書いていきたいと思う。
(バレたら怒られそうだ)

本書の主張は、一言で言えば、以下の文になるだろう。

ここで示したいのは、「覇権国がネットワーク(情報通信ネットワークおよび物流のネットワーク)を他国に比して優勢に使うことができるのならば」という前件的条件の下で、「領土に根ざした帝国的覇権から、ネットワークを活用した新しい覇権体制へと移行する」というプログラムである。(P9)

 

(プログラムとは吉田民人のプログラム論から定義している。詳しくは本書を参照)
各章は最先端のTopic、例えば、米国の歴史、中国の情報統制、セキュリティ、環境技術、そして日本と展開していくが、最初の1章と2章に筆者の言いたいことは詰まっている。「情報とグローバル・ガバナンス」「ネットワーク・パワー」といった前著のように、国際政治理論に「技術」そして「ネットワーク」の概念を持ち込むという熱意が伝わってきた。

しかし、どの切り口から行けば、国際政治に「ネットワーク」の概念を導入できるのかは、答えが出ていない分野であると感じた。その意味で、覇権という切り口では、結局のところ、経済や軍事的なパワーに目が行ってしまう。果たして、英国が海運と電信のネットワークで貿易を切り開き発展したように、米国の磁力や中国の台頭をネットワークで捉えていいのだろうか。国際社会に与えるインパクトの要素としては、経済や安全保障の前では、「ネットワーク」は赤ん坊のようなものである。その意味で、やはりネットワークという概念を経済や安全保障に正面切ってぶつけるべきだと思う。

 

先端的な国家は、人々を囲い込む堅固な壁ではなく、プラットフォームに変わっていくだろう。プラットフォームは情報が集約されるところであり、人々の活動の法的基盤を提供するところであり、経済的価値の基準を示すところであり、ネットワークの拠点を提供するところである(P144)。

 

「国家ってプラットフォームなんじゃないの?」という先生の問いに合宿で応えられなかった僕は、本書を読んでその考えの一部が頭に入ってきたが、一方で、そうは言えない気もしている。というのも、国際政治においては、スーザン・ストレンジが言う「構造的権力」を発揮する場面において以外は、そのパワーによってプロトコル(決まり)を決めている側面が強く、僕のプラットフォームのイメージはあくまで、第3者の動きを活発にするものであり、それは第3者たちが好んで使っていく場であるからだ。決してパワーによって代替手段のない選択を迫る存在ではない。そういったパワーではなく、魅力で情報を囲い込んでいくことが、国家のプライマリなモデルにできるかどうかは、かなり怪しいと思っている。

 

先生の師でもある薬師寺先生の「テクノ・ヘゲモニー」は、大量な歴史研究に基づく論の展開をして、国際政治に「技術」の概念を持ち込んだけれど、ネットワークという新しい概念で、どうそれを料理していくか。先生は、「新しいコンセプト」を打ち出していく人だと思う。

先生の主張は常に片足を仮説に突っ込んでいる状態にならざるを得ず、論として批判されることもあると思うけど、だからこそ、その新しい考えに僕は刺激される。エジプトの政権転覆にインターネットが貢献するなど、その萌芽はだんだん大きくなっている。

<蛇足>
ネットワークという概念を追求するのであれば、むしろ米国や中国といった大国よりも、中堅国の戦略が重要にならないか。ネットワークによって国家的価値にレバレッジをかけている国があるはずである。例えば、韓国の通商政策はどうだろう。WTOという国際政治のレジームが機能しなくなった一方で、EUや米国とのFTAを進めている韓国は、貿易的なハブとしてネットワークのヘゲモニーをつかめないか。渡邊頼純先生とかと協働できないかなぁ。

 

あぁ、研究がしたくなってきたと思う。

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