[∈]『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』要約


 

<a title=”「学部生時代の勉強を遺そう」シリーズを始めます” href=”http://www.tenok.net/diary/1627/” target=”_blank” muse_scanned=”true”>「学部生時代の勉強を遺そう」</a>シリーズ第6弾。

 

ヴェーバー,マックス著、大塚久雄訳,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,岩波文庫,改訳版,1989年.

 

本書は、営利の追求を敵視するピューリタリズム(プロテスタンティズム)の経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したという歴史の逆説を、広大な比較宗教社会学的研究のもと、推察するものである。

ヴェーバーは、近代資本主義のエートスを「資本主義の精神」という言葉で表す。これは決して単なる経済的な営みではなく、近代に特有の合理的な産業経営的資本主義を指しており、昔からあった資本主義とは別物である。そして、その「資本主義の精神」は、禁欲的プロテスタンティズムが持っていた、労働を自己目的、すなわち「天職」(Beruf)と考えるべきだという概念が推進したといえる。

近代資本主義のもっとも特徴的な要素となっている「天職」という概念は、ルッターらが活動した宗教改革の最大の産物と言える。これは、世俗的職業の内部における義務の遂行を道徳的実践のもちうる最高の内容として重要視し、世俗的日常労働に宗教的意義を認める思想だ。この「天職」概念にはプロテスタントのあらゆる教派の中心的教義が表出されている。

歴史上、禁欲的プロテスタンティズムの担い手には、4つのものがある。カルヴィニズム、敬虔派、メソジスト派、諸信団(ゼクテ)がそれだ。本書の持つ問題点への強調の仕方に相違があるものの、どの教派においても宗教上の「恩恵の地位を」現世から信徒を区別する身分と考え、獲得の仕方こそ異なるが、その身分の保持は「自然」のままの人間の生活様式とは相違した独自な行状による確証によってのみ保証されるとした。よって、恩恵の地位の保持のために生活を方法的に統御し、禁欲を浸透させる起動力が生まれた。そしてこの生活スタイルは神の意志に合わせて全存在を「合理的」に形成することを意味したのである。来世を目指しつつ世俗内部で行われる生活態度の合理化、これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだった。

さて、いよいよ近代資本主義と禁欲的プロテスタンティズムの親和関係について詳述したい。前述の通り、プロテスタントは自分が恩恵の地位にあることを確かめるために、「彼をつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない」。神の意志によれば、神の栄光を増すために必要なのは、怠惰や享楽ではなく、行為だけである。したがって、労働で稼いだ金を、享楽につぎ込むのでなく、更なる合理的経営投資につぎこむ。さらに、最も重い罪は時間の浪費であるから、合理的な職業労働に励むのである。ここに、近代資本主義の発展に禁欲的プロテスタンティズムが貢献しているという本書の主張する一つの理由がある。つまり総括すると、プロテスタンティズムの「天職」概念が作り出した世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力を挙げて反対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果としての財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放ったのだ。最後に、その歴史的形成とその純粋な功利主義への解体へのあとが、歴史的に、禁欲的宗教的意識の個々の伝播組織に即して究明されねばならない。こうしてはじめて近代文化の創出にあずかった他の諸要素との関連で、禁欲的プロテスタンティズムのもつ文化的意義を明らかにすることができる。

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