[∈]【書評】競争の作法


 

筆者は、一橋大学大学院経済学研究科の齋藤誠教授。

起こった事象に対して、公表資料などの統計を示して論理的に説明する、
まさしく「経済学者」という語り口の先生だなと思った。
研究分野がマクロ経済学というところも、僕が持つ浅薄な「経済学」イメージとつながるのかもしれない。

本書では、まず「戦後最長の景気回復」「リーマン・ショック」という2つの事象に対して、それが日本経済、引いては人々の雇用環境にどう影響したかを読み解く。また、その際に世間の報道やイメージとは異なる真相を示している。

まず、「戦後最長の景気回復」(2002年1月-2007年10月)に関して、

・2003年前半のタイミングをもって、海外投資家が日本株が底値圏と判断し、一挙に資金を投じてきた(P88)。2000年代初頭には、明らかに「お買い得」だった銀座の土地と不動産が次々と海外ブランドに買われていった。(P77)

・「目に見える円安(対ドルの為替)」、「目に見えない円安(日本の消費者物価が横ばいだったのに対して、米国の消費者物価は10%上昇していた)」によって、20%の価格競争優位を持った輸出企業(製造業)が好調で、景気回復に貢献した。(P94~)

・2つの円安が生まれた原因は、日銀のゼロ金利政策によるものが大きい。(P117)

・輸出企業は、円安によって得た利益を労働者の基本給には振り分けず、設備投資に振り分けた。(それはリーマン・ショック後に「小豆御殿」という名の設備過剰となった)。つまり、戦後最長の景気回復の内訳は、実質GDPでは純輸出と設備投資であり、一方で実質家計消費は成長の半分しか拡大しなかった。(P111)

・民間勤労者の実質給与は「戦後最長の景気回復」期にも一貫して低下してきた。(P49)

参考:経済産業省資料

 

それに連動して、リーマン・ショックでは、

・リーマン・ショックによって実質GDPの規模は、「戦後最長の景気回復」の始点である2002年までに戻った。(P113)

・リーマン・ショックによって2つの円安が解消され、実質為替レートが1.2から1に近づいたために、円安「バブル」が終わった(P113)。株価は「適正な水準」に戻った。(P114)

・リーマン・ショックで賞与の受取額は激減したが、給与全体の実質総額の低下幅は実質GDPの激減に比べればかなり軽微であった。(P49)

ここで、競争と労働というものを筆者は強く考えている。というのも、戦後最長の景気回復でも上昇しなかった給与水準であるが、その前、業績の悪い不況期に企業はどのように賃金を設定してきたのか。[労働コストを上昇させるデフレが起こっていた]1997~2002年

の雇用調整に関して、筆者はこう語る。

1997年から2002年の期間は、日本の戦後経済がかつて経験してこなかったような雇用調整に直面した。(中略)100人中9人が解雇され、7人が非正規雇用にされ、2人が失業した。(中略)5年間で節約できた実質労働コストは1%に過ぎなかった。(中略)ゆるやかなデフレの程度に応じて賃金をわずかに引き下げれば十分に(コスト削減は)可能であった。経営側と労働者側で名目賃金を毎年1%強引き下げることに同意すれば、それで良かったのである。(P146-149)

筆者は、この2つの経済事象から、「グローバルな競争にさらされている日本経済は、生産性に照らしてみて生産コストが2割高すぎる」という教訓を引き出し、その上で、

・自分は、自らの生産への貢献に比べて給与が多すぎ(少な過ぎ)ないか?
・他人は、彼の生産への貢献に比べて給与が多すぎ(少な過ぎ)ないか?

という問いを、各個人が考えてほしいというメッセージを発している。

また、第4章では、持てる者、つまり土地所有者や会社を持つ経営者、株主に対して、
「持つなら使え、使わないなら持つな」というシンプルなメッセージを送っている。

筆者は、個人からすると経済的に合理的ではない判断を下した日本航空OBの年金カットを考える一助として挙げている。会社が倒産するという状況になったとき、現役の社員は、(会社数の少ない航空業界ならなおさら)賃金カットを受け入れるしかない。転職できないリスクが大きすぎるからだ。組織が大きくなり、その組織で年数を重ねていけば行くほど、保身的になっていくのだと思う。年を重ねれば、家族や家といった守るべきものも増える。

個人レベルの給与水準を落とさないという合理的判断が、組織のレベルで見ると「保身」になり、マクロ経済のレベルで見ると、それが「既得権益」になる。

賃金の硬直化に対する最適かつ実行可能な処方箋が、日本企業にはまだ見つかっていないような気がする。そして既存システムを打ち破る流れは、少子高齢化によって必然的 に逆流している。なぜなら、新しく労働市場に入る人間の声の数が減り、現在、構築されたシステム側にいる人間のほうが多いのだから。

語弊を恐れずに言えば、筆者の意見を俗っぽくすると、転職エージェントが持つような労働者の”市場価格”をもっと日本全体で意識すべきだということであろう。

同期の中国人から、こんな話を聞いた。
彼女の優秀な先輩が日本の代表的商社に日本で採用されたらしい。彼は日本の給与体系に魅力を感じて(中国の大卒の給料水準は日本のそれの3分の1程度)、入社した。すると、入社したとたん、中国配属になり(そこまでは良かったが)、中国の賃金体系、つまり3分の1程度にしてしまったらしい。彼は、「これなら中国企業で働くほうがマシ」と思ったそう。もう1度、筆者の言うとおり、「競争」を考え直すときが来ていると思う。

・競争原理とは、「生産への貢献に応じて生産の成果を分配する原理である」(P143)

・資本主義社会の競争原理は、社会を超えたところに立っている人間が善悪について考えた倫理によって葬り去るのではなく、社会の中にあって追い詰められた人間があみだした美学と道徳によって守り切るべきなのではないだろうか。(P228)

余談ではあるが、印象的だったのは、エピローグででてきた筆者と友人のこんな会話である。

ずいぶんと前に、友人と「会社に同期入社の親しい同僚がいて、50歳を迎えるときに、年収が500万円、同僚の年収が2000万円だったとして、酒を飲み交わすことが出来るであろうか」と雑談したことがある。私は、「がんばってきたのなら、酒を飲むし、それが友情だと思う」と思っていたことを率直に述べた。

人それぞれ守るべきものは違う。それによって、必要になるお金も違うだろう。お金が手段ではなく、目的とする人もいるだろうし、それはそれでいいと思う。
どちらにせよ、僕は、「守る」ために「その場にいる」のではなく、むしろ「守るために動く」という考え方をしていきたいと思う。
(僕は、それを産業として斜陽に落ちる直前に、広告代理店を早期退職制度で辞め、独立した人から学んだ)

僕の稚拙な要約では大変申し訳ないので、

経済学者の大竹文雄先生の書評をどうぞ。。。。

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