[∈]【書評】ツァラトゥストラはかく語りき


 

ぐーてんもるげん、さて。

ドイツを旅しているとき、列車でずっとこれを読んでいた。
単にドイツだからニーチェだった。僕はミーハーなので。
(ちなみにNYに行ったときは、『ティファニーで朝食を』を読んでた。僕はミーハーなので。)

哲学なんて時間があるときにしか読まない。

 

神は死んだ。教会と牧師という存在は欺瞞である。
人々に救いはなく、あるのは没落とくだらない歓喜だけである。
人間は克服されなければならず、超人こそが新しき方法である。
時間という制約を越え、永遠に回帰することこそ、愛すべきものだろう。
人間を突き動かすものは神ではなく、意志であり肯定である。

 

はっきり言ってニーチェが何を言いたいのか半分ぐらいしかわかってない気がするが、自分の中で哲学とは、割と、

「俺さぁ、こう思うんだよね」ってやけに熱く熱弁をふるっているキチガイを、「そんな事考える奴もいるんだなー」と聞き流しながら、自分もたまにはどうでもいいことを考える、という機会を与えてもらえるもの。

ぐらいに考えているフシがあります。

 

人は弱く、何か支えがなければ生きていけない。「自分にとっての神はなんであろうか?」と思って読んでいた。
奇しくも、悲しい地震が起き、神に祈ることも多かったけれど、正直、本当は誰に祈っていたのかは分からない。
自分が旅をしていることに対する免罪符だったのか、それとも見知らぬ誰かが1人でも多く本当に助かればいいと思っていたのか、
「自分の意思」すらよく分からない。

愛でもお金でも社会的強さでも、「特別」なものを見出すのはなかなか難しいな、と。全て自分の意志で変えることのできる環境は、何かを肯定することに対する恐怖が生まれることを必然として、それに対する何かしらの理由をみんな探してくっつけているような社会にいる。

ニーチェはこんなことも言っていた。

生とは、苦悩である

それに関しては、強く同意する。

ニーチェが中二病かどうかは知りませんが、ネクラの中で究極のネアカだと思った。

 

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